10月22日、軽井沢の大賀ホールで中丸三千繪のソプラノリサイタルがあったので、行ってきました。
軽井沢大賀ホールは2005年4月開館のコンサートホールで、ソニー名誉会長の大賀典雄氏が退職慰労金を建設費に当てて軽井沢町に寄贈したものです。矢ヶ崎公園の池にかかる矢ヶ崎大橋を渡った正面に位置し、橋を渡るところからいい雰囲気です。
ホールは音響を考慮した5角形となっていて、内側の壁面に地元産の木を使用した暖かい感じの建物です。「周囲の景観と調和しリゾート地にふさわしい建築の好例」として、2005年度の日本建築士事務所協会連合会の最優秀賞を受賞しています。
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さてコンサートの内容ですが、プログラムは以下のとおりです。
大賀夫妻もお見えで会場の雰囲気は良かったし、中丸さんもアンコールで4曲も歌ったりして大サービスだったのですが、歌の出来がどうだったかというと、いま一歩でした。
余裕を持って歌っているところは声に厚みがあって良かったのですが、音程の幅が大きく広がるところが限界いっぱいいっぱい、という感じでした。
どれも聞いたことのある曲ばかりで、しかもソロコンサートですからごまかしがきかないわけで、選曲を無理しなければ良かったと思うのですが。
それにしても、いい曲というのは100年たっても、200年たってもいいものですね。"月によせる歌" なんか、よかったなあ。
先日、話題の映画『蝉しぐれ』を見てきました。評判がいいだけに期待して行ったのですが、20年来の藤沢周平ファンであり、NHKで2年前に放送された金曜時代劇も見たものとしては、期待はずれでした。
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今回、黒土監督は原作に忠実に映画化しようとしたのでしょうが、たとえば、風景をそのまま写し取ったような絵を、それも断片的に見せられたような感じで、画面から伝わってくるものがほとんどありませんでした。
NHK金曜時代劇の脚本も同じ黒土さんだったのですが、やはり文庫本で470ページの長編を、2時間という映画の枠の中に入れ込むことに無理があったのでしょうか。
確かに風景描写はていねいですが、ただそれだけの映画という印象です。
主役の市川染五郎と木村佳乃の台詞回しが相変わらずへたなのは「まあ、こんなものかな」という感じですが、がっかりしたのは緒方拳の牧助佐衛門です。これは原作に対する解釈の違いかもしれませんが、助佐衛門にはもっと凛としていて欲しかった。
後半、船で文四郎とふくが逃げるシーンがありますが、あまりにお粗末な演出にがっかり。船に座ってただ頭を下げているだけなんて、緊迫感が全くありません。
また、文四郎が里村家老に怒りをぶつけるシーンで、最後にからくり人形が動くのも余計な演出です。家老役の加藤武も、TVの平幹次郎とくらべると全く迫力不足。
というわけで、後半になればなるほど演出に締りがなくなって、見終わったときにはすっかりしらけてしまいました。
藤沢小説の映画化といえば、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』と『隠し剣鬼の爪』がすぐ思いうかびます。
これらの作品は、元になる短編小説を題材として山田洋次監督が「映画」という別の作品に仕上げたもので、ひとつの映画として見た場合、やはりこれらの作品の方が、脚本、キャスティング、演出、どれも格段に良くできていると思います。
黒土さん、作品をあたため過ぎて意欲が空回りしたのかなあ。
このコラムの『日々雑記』という題名の由来ですが、故武田百合子さん最後のエッセイ集『日日雑記』からきています。
ご存知の方が多いと思いますが、武田百合子さんのプロフィールを紹介しておきます。
大正14年、横浜市生まれ。昭和25年、作家武田泰淳氏と結婚。取材旅行に同行したりして夫の手足となっていたが、氏の没後『富士日記』で、昭和52年、田村俊子賞を受賞。竹内好、武田夫妻の3人でのソ連旅行記『犬が星見た-ロシア旅行』で、昭和54年、読売文学賞を受賞。平成5年死去。
さて、私は武田百合子さんの『富士日記』が大好きで何度も読み返しているのですが、たとえばこんな感じです。
昭和三十九年八月一日。
快晴。快晴。南アルプスだか、中央アルプスだか、日本アルプスだか、アルプスみたいな山なみがパノラマのように全部見える。朝から夕方まで、冷たい風が少しずつ吹いていて、空は真っ青で、動かないまっ白な雲がある。夏休みのお天気だ。
昭和四十二年七月十八日 快晴、夕方少し雨、雷鳴
ポコ死ぬ。六歳。庭に埋める。
もう、怖いことも、苦しいことも、水を飲みたいことも、叱られることもない。魂が空へ昇るということが、もし本当なら、早く昇って楽におなり。
前十一時半東京を出る。とても暑かった。大箱根に車をとめて一休みする。ポコは死んでいた。空が真っ青で。冷たい牛乳二本飲む。主人一本。すぐ車に乗って山の家へ。涙が出っ放しだ。前がよく見えなかった。
作家の水上勉(この方も昨年亡くなりました)氏が、この本のことを「まことに、すがすがしく、心あつく、簡にして深い、日々の記録である。」と解説の中で書き、その文章について「天性の文章家の才気と感性が、このひきうつしの行間の各所で緊張し、充満し、破裂している。日記はおのずから、武田泰淳とともに、思索し行動する主人の精神史としてたかまり、また、日常の具象の記録をも果たすのである。」と書いています。
初めて『富士日記』を中公文庫で読んだのが昭和56年。その後繰り返し読んでいますが、読み返すたびに新たな思いがわいてきます。それは、その時々の自分自身の人生での経験や状況によるものと思いますが、年齢を重ねるたびに、作品後半、泰淳の容態が悪くなってきてからの次の文が胸に迫ってくるようになりました。
「花子と私相手に『かんビールをポンと・・・」をくり返し、手つきをし、ねだる。ダメというと「それでは、つめたいおつゆを下さい」と言う。花子『ずるいわねえ。それもやっぱりかんビールのことよ』と笑う。それからまた『かんビールを下さい。別に怪しい者ではございません』と、おかしそうに笑い乍ら言う。私と花子が笑うと、するとまた一緒になって笑う。」
氏はこの会話の2週間後に亡くなっています。
「日本道路協会」発行の月刊誌『道路』9月号に、ドイツの自転車交通政策についての記事が出ていました。以下、その要約です。
ドイツ国内ではいま150路線以上の長距離自転車道があり、そのほとんどが延長150km以上のもので、これがさらに外国の自転車道とつながって、ヨーロッパ全体を回遊できる観光用自転車道路網の一部となっている。
2000年から、「自転車に最適!」賞("best for bike")というのが設けられていて、日常的または余暇での自転車利用を促進するプロジェクトに、毎年贈られている。
その中で2004年の賞を受賞したのが、"Radroutenplaner"というホームページで、出発点と目的地を入力すると、長距離自転車道を使ったルート提案が地図で表示され、ルートの延長と走行時間が表示される。さらにテーマルートの紹介では、延長、走行時間、高低差などのほかに、途中にある観光資源についての情報も提供されている。
(『道路』2005年9月号 / p36-p40 / Elfferding Susanne)
どうです。うらやましいでしょう。駅などには自転車全体を入れる大きいコインロッカーがある所もあり、自治体の駐輪場の中には、自転車の修理、パーツや地図の販売、自転車の洗浄などのサービスを提供するところもあるそうです。
それに比べて我が日本の状況はあまりにお粗末で、駅前には放置自転車があふれ、サイクリングをしようにも十分な情報がなく、サイクリストのためのサービスは皆無に等しい。自転車が趣味の谷垣財務大臣、なんとかしてください。