2005年12月

2005-12-29 / 小川洋子『博士の愛した数式』

2年前に小川洋子さんが書いた『博士の愛した数式』を読みました。当時非常に評判になった本で(その年の本屋大賞と読売文学賞を受賞しています)妻からも薦められていたのですが、なんとなく後回しにしていたのを映画公開を前にしてようやく読みました。

1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。主な著作に、『冷めない紅茶』『やさしい訴え』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『貴婦人Aの蘇生』『偶然の祝福』『まぶた』など。

冒頭の文章からひきこまれ、気がついたら一気に最後まで読んでいました。

一言で言ってしまえば、事故で記憶力を失った数学者と、彼の世話をすることとなった家政婦とその息子のふれあいを描いた物語ということになってしまいますが、人への慈しみや愛情にあふれた、いい本でした。

彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。息子の頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったからだ。
「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」
髪がくしゃくしゃになるのも構わず頭を撫で回しながら、博士は言った。友だちにからかわれるのを嫌がり、いつも帽子を被っていた息子は、警戒して首をすくめた。
「これを使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」
彼は埃の積もった仕事机の隅に、人差し指でその形を書いた。

私と息子が博士から教わった数えきれない事柄の中で、ルートの意味は、重要な地位を占める。世界の成り立ちは数の言葉によって表現できると信じていた博士には、数えきれない、などという言い方は不快かもしれない。しかし他にどう言えばいいのだろう。私たちは十万桁もある巨大素数や、ギネスブックに載っている、数学の証明に使われた最も大きな数や、無限を越える数学的観念についても教わったが、そうしたものをいくら動員しても、博士と一緒に過ごした時間の密度には釣り含わない。(小説冒頭の文章から)

10歳だった少年が博士に抱きしめられてから12年後、医療施設にいる博士の肩を、22歳になったルートがそっと抱き寄せる最後の描写。いいですねえ。

この作品は、『雨上がる』『阿弥陀堂だより』の小泉堯史監督で映画化され、来年1月21日公開されます。映画のほうも楽しみです。

… 映画の公式サイトはこちら

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2005-12-22 / 映画 『父と暮らせば』

井上ひさしの二人芝居『父と暮らせば』を、『Tommorow/明日』、『美しい夏キリシマ』の黒木和雄監督が映画化した『父と暮らせば』を、WOWWOWで見ました。前々から見たいと思っていた映画なのですが、今日まで機会がなく、ようやく見ることができました。

広島の原爆投下から3年、親しい人たちの中で自分だけ生き残ったことで、幸せになることを拒否しようとする主人公・美津江を宮沢りえ、娘の幸せを願い、幽霊となって現れ娘を勇気付けようとする父・竹造を原田芳雄が演じています。

舞台と同様、映画はほとんどこの二人の会話で進行します。重く暗くなりがちなテーマですが、二人の広島弁の会話と、原田芳雄の「おとったん」ぶりがいい感じでした。

時間にして100分、短い映画ですからこれ以上説明するのはやめておきます。『たそがれ清兵衛』の宮沢りえも良かったですが、この作品の宮沢りえもいいです。

キネマ旬報主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞など多数受賞

スタッフ

  • 原作 … 井上ひさし
  • 監督 … 黒木和雄
  • 脚本 … 黒木和雄/池田眞也
  • 撮影 … 鈴木達夫
  • 音楽 … 松村禎三

キャスト

  • 美津江 … 宮沢りえ
  • 竹造 … 原田芳雄
  • 木下 … 浅野忠信

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2005-12-11 / じんわりと心にしみる - 映画 『スモーク』

ハーベイ・カイテル主演の映画 『スモーク』 をビデオで見ました。ストーリー展開というようなものも特別ある訳ではなく地味な映画ですが、見終わったあとじんわりと心にしみてくる、いい映画でした。

さて映画の中身ですが、毎日、同じ時間に同じ街角の写真を撮り続けるたばこ屋の主人オーギー、銀行強盗事件で妻とおなかの中にいた子供を亡くしてから書けなくなった小説家ポール、車に轢かれそうになったその小説家を助ける黒人少年ラシード、その黒人少年と子供の頃別れた父親サイラス、そしてオーギーの別れた女ルビーとその娘。一人ひとりの物語が絡み合いながら淡々と進んで行く、それだけの映画です。

ですが、映画の最後でトム・ウェイツの"Innocent When You Dream"を聞きながら、オーギーがポールに語って聞かせたクリスマス・ストーリーのモノクローム映像を見ていると、なんともいえず胸が熱くなってくる、いい映画です。

1995年ベルリン国際映画祭特別銀熊賞と国際評論家連盟賞受賞。

スタッフ

  • 原作/脚本 … ポール・オースター
  • 製作総指揮 … 井関惺/ボブ・ワインスタイン/ハーベイ・ワインスタイン
  • 製作 … 堀越謙三/黒岩久美/ピーター・ニューマン/グレッグ・ジョンソン
  • 監督 … ウェイン・ワン
  • 撮影 … アダム・ホレンダー
  • 音楽 … レイチェル・ポートマン

キャスト

  • オーギー … ハーベイ・カイテル
  • ポール … ウィリアム・ハート
  • ラシード … ハロルド・ベリノー・ジュニア
  • ルビー … ストッカード・チャニング
  • サイラス … フォレスト・ウィテカー

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2005-12-11 / 塩野七生『イタリアからの手紙』

ライフワークとして『ローマ人の物語』に取り組まれている塩野七生さんがかなり前に書かれた本に、『イタリアからの手紙』というのがあります。

この本の中に、アメリカという国は何年たっても変わらない国だな、と考えさせられる文章があります。これは、塩野さんの友人でアメリカ在住のユダヤ系ポーランド人の精神分析医が、塩野さんに宛てて書いた手紙の一節です。

さて、正常ということになっているアメリカ人のほうだが、これがまた病人以上に我慢ならない。アメリカ人であるぼくにとっては、実になさけない思いで告白するのだが、世界史上、指導的な立場であったいくつかの国民の中で、アメリカ人ほど馬鹿な国民はいなかったのではないか、という気がしている。ものの考え方感じ方が、まるで幼稚なのだ。
ぼくは、悪人も堕落した者も我慢できる。だが、自分たちが正しいと単純に信じきっている馬鹿者だけは我慢できない。
ある時、それこそ精神分析医とは一生縁のなさそうな、まじめで健康な学生と話していた時だ。ぼくは、ふと冗談に、最初の人間は誰だと思う、とたずねた。彼は、ためらうことなく答えた。ジョージ・ワシントンと。
ぼくは笑いながら、まだふざけ半分に、アダムじゃないかと言ったら、この若者は、至極まじめな顔をしながら、なあんだ、ドクターが外国人のことを言っているとは知らなかった、と答えたものだ。
これで、マサチューセッツ工科大学の学生なのだから、あきれるよりも悲しくなる。IBMには、彼みたいな有能で無教養なアメリカ主義者が、わんさといるんじやないかと思えてくる。
こういう正常な人々が、自由の女神の肩に乗って、"正義!正義!"とわめいているアメリカ。このアメリカが、いくら他国民から批判されようと、そして、時には自己批判しているように見える時期でも、アメリカという国の主流を占めているのさ。

塩野さんがこの本を書いたのが1972年、今から33年も前のことです。

1991年の湾岸戦争から2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争へと続くアメリカの「正義」というものへの疑問はひとまずおくとしても、ごく平均的なアメリカ人のレベルがどんなものか、そして、そのアメリカに尻尾を振り続けるコイズミを首相として選んでいる日本という国。

久しぶりにこの本を読んで、あらためて考えさせられました。

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2005-12-4 / 青木奈緒『動くとき、動くもの』

曽祖父が幸田露伴、祖母が幸田文、母が青木玉という青木奈緒さんが書いたものに『動くとき、動くもの』というのがあります。

小説でも、単なるエッセイでもありません。祖母の幸田文さんが全国の「砂防」の現場を訪れて著した『崩れ』の地を再訪し、そこで出会った人々や風景を描写したものです。

ここで「砂防」という言葉について説明しておきます。一般の人たちにはなじみのない言葉だと思いますが、「砂防」あるいは「砂防工事」というのは、崩れやすい山や、土石流による災害を防ぐために行う工事のことです。

奈緒さんは国内9ヶ所、海外1ヶ所の砂防現場に行ってますが、その中に富山県立山の現場を訪れたときの文章があります。この本の中で、砂防の現場というものがどういうものか、そこで働く人たちがどういう人たちなのか、一番よくわかると思いますので、少し長くなりますが引用します。

トロッコ列車をおりたところが、立山砂防の最前線基地、水谷平だった。このわずかな平地に立山砂防工事事務所の水谷出張所と三百人の工事関係者が寝泊する宿舎がある。
垂直に切り立った岩壁がすぐそこに迫り、上からは滝が流れくだる。
(中略)
ここで水谷の出張所長さんと、そしてもうおひとり、地元の建設会社の社長さんで、長年立山カルデラの砂防に尽力していらっしやる方にお目にかかった。今年喜寿のお祝いを迎えたこの社長さんが、二十五年前、足元の悪さに歩きあぐねた祖母を背負ってカルデラの中を見せてくださった。」
(中略)
ご一緒くださった社長さんの記憶の中に祖母の姿はくっきりと残っていた。「学校より大きい石」と言い表された石はどれで、どこで祖母はおそろしさに身をすくませたか。話し出せばいろいろあるよ、とおっしやっていた社長さんが、谷を抜け出したところで目になさったことばに思わず唇をかんだ。
孫さんと一緒に十数年ぶりにこの谷をずっと歩いて、これでもう思い残すこともなくなったな。今目はほんとによかった」二十五年前のたった一目のご縁が、二十五年後のこの日を結んでいた。まこと縁は目に見えず、思いもかけずつながるものという気がしてならない。
鳶山の崩壊とその堆積土砂2億立方メートルと闘う人たちが立山カルデラの内にいる。危険をともなう工事現場であるがゆえに一般の人々がこの山奥に入ることなく、人知れずつづけられてきた砂防事業の歴史は長い。
(中略)
天涯をまもることなくして、富山平野の生活はなりたたない。にもかかわらず、人々が災害からまもられるにつれ、山奥の砂防はいよいよ顧みられず、砂防にたずさわる方々の天涯の思いは強くはなっても、うすれることはないのかもしれない。
風が吹いただけでも崩れるような危険な斜面に命綱一本でぶらさがり、そこへ縁を根づかせる努力をする人たちの胸中が、はたして都会住みの私にわかるだろうか。夕暮れの現場にはもはや働く人の姿はなく、斜面にいく筋もの命綱が力なくたれている。

私は、同じ土木の仕事に携わるものとして思わず胸に迫るものがありましたが、皆さんはどうでしょう。

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