8月11日、BShiのハイビジョンスペシャルで、「プリーモ・レーヴィへの旅」が再放送されていました。
この番組は、アウシュビッツ収容所から奇跡的に生還したユダヤ系イタリア人作家プリーモ・レーヴィが、42年後なぜ突然の死を選んだのか、作家・徐京植(ソ・キョンシク)が、レーヴィの故郷トリノへの旅を通じて、その謎に迫ろうとするものでした。
3年くらい前の放送をたまたま見たことがあって、その後レーヴィの書いた『これが人間か』(邦題は『アウシュビッツは終わらない ~ あるイタリア人生存者の考察 ~』)や、徐京植の『プリーモ・レーヴィへの旅』も読んだのですが、文字通り必死の思いでアウシュビッツから生還したレーヴィがなぜ死を選んだのか、やはりよくは分かりませんでした。
生き残ったことの「罪」に耐えられなかったのか、人間であることの「恥」に耐えられなかったのか。レーヴィ自身は『これが人間か』のなかで次のように言っています。
人を殺すのは人間だし、不正を行い、それに屈するのも人間だ。だが抑制がすべてなくなって、死体と寝床をともにしているのはもはや人間ではない。隣人から四分の一のパンを奪うためにその死を待つものは・・・人間としての規範からはずれている。
私たちの存在の一部はまわりにいる人たちの心の中にある。だから自分が他人から物とみなされる経験をしたものは、自分の人間性が破壊されるのだ。
8月17日午後10:15からNHKBS1では「実録ニュルンベルグ裁判」というドキュメンタリーが放送されました。18日には「シリーズ 第2次大戦関連」として、午後10:10から「ドイツ"アウシュビッツ裁判" ~自ら裁いた大量虐殺~」が、11:10からは「マッカーサーが見た見本の降伏」が再放送されます。
アウシュヴィッツは終わらない / プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳 (朝日選書)
溺れるものと救われるもの / プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳(朝日選書)
プリーモ・レーヴィへの旅 / 徐京植(朝日新聞社)