7月12日、パキスタン生まれの1人の少女が国連で演説しました。通っていた中学校から帰宅するところを銃撃され重傷を負いながら、現地で弾丸摘出手術を受けた後、英国の病院に移送され、一命をとりとめた、マララさんです。
彼女の国連での演説は様々なメディアで紹介されていますが、演説の最後をこういう言葉で結んでいます。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な扱い、そして無学に苦しめられていることを忘れてはいけません。何百万人もの子どもたちが学校に行っていないことを忘れてはいけません。少女たち、少年たちが明るい、平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはいけません。
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょう。それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。ありがとうございました。
ここで彼女が「教育こそがただ一つの解決策」と言っていますが、この考え方は、1998年度のノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・セン氏の「人間の安全保障」という考え方の基幹をなすものです。
氏は、「人間の安全保障」は、「人間の生存と生活を守り、維持するもの」であり、「私たちの人生に危害や侮辱、軽蔑を与えうる様々な苦難を回避すること」であるとし、人間の潜在能力を増大させる中心的存在として、識字力と学校教育をあげています。
マララさんの演説内容を読んであらためてセン氏の著作を読み返してみましたが、2001年の「人間の安全保障委員会」設置後も、世界の状況はなかなか変わっていかないですね。
マララさん演説全文(翻訳) / HUFFPOST JAPAN
マララさん演説全文(原文) / independent.co.uk
人間の安全保障(集英社新書) / Amazon.co.jp
今年は寺山修司没後30年ということで、多くのイベントが開催されたり関連本が出版されたりしていますが、「短歌研究」5月号に続いて6月号でも特集されていました。
その中で、「寺山修司とわたし」というテーマで歌人70人が好きな寺山の歌1首を選んでコメントを寄せています。寄せられた歌が次の38首。
大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうと鳥
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
はこべらはいまだに母を避けながらわが合掌の暗闇に咲く
わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし
森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット
夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む
煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん
知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空箱
傷つきてわれらの夏も過ぎゆけり帆はかがやきていま樹幹過ぐ
罐に飼うメダカに日ざしさしながら田舎教師の友は留守なり
失いし言葉がみんな生きるとき夕焼けており種子も破片も
愛すとき夏美がスケッチしてきたる小麦の緑みな声を喚ぐ
青空より破片あつめてきしごとき愛語を言えりわれに抱かれて
わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
莨火を床に踏み消して立ちあがるチエホフ祭の若き俳優
向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
冬怒涛汲みきてしずかなる桶にうつされ帰るただの一漁夫
わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
うしろ手に撃ちし雲雀をにぎりしめ君のピアノを窓より覗く
胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音立てて挿す
一つかみほど苜蓿うつる水青年の胸は縦に拭くべし
わが内を脱けしさみしき少年に冬の動物園まで逢いにゆく
林檎の木ゆさぶりやまずわが内の暗殺の血を冷やさんために
古着屋の古着のなかに失踪しさよなら三角また来て四角
白球が逃亡の赤とらへたる一メートルの旅路の終り
手の中で熱さめてゆく一握の灰よはるかに貨車の連結
人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ
これらの歌のなかで一番多くの歌人が好きな歌として選んだのが、やはり
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
で9人、次に多かったのが
「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」
で8人、その次が
「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」
と
「そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット」
で、ともに5人の歌人が好きな歌としてコメントを寄せていました。
「田園に死す(1964年)」に収録された「売りにゆく...」以外が、1957年以前の作品集である「初期歌篇」と1958年の寺山修司最初の歌集「空には本」という初期の作品から選ばれているということが、「好き」な理由をある意味表しているような気がします。
最近の寺山人気の広がり(ジャンルも年代も)は、寺山の短歌作品が多くの教科書に載っていることも要因としてあるようですね。
わたしは上にあげられた歌の中では
「森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし」
なんかも好きですが、みなさんは?
寺山修司 全歌集 / 講談社学術文庫 / Amazon.co.jp
以前、ホンダ FIT のCM 「ずっとFIT」でアメリカのスタンダードナンバー "Fascination"(邦題「魅惑のワルツ」)が流れていました。歌っていたのが美空ひばりで、当時から話題になっていましたね。
最近、由紀さおりがアメリカのバンド"PINK MARTINI"との共演で脚光を浴びたり、八代亜紀がジャズのスタンダードナンバーを歌って評判になったりしていますが、歌のウマサではこの人が最高でしょうね。
iTunesで"HIBARI MISORA Fascination"を購入してアルバムに収録されている全16曲を聞きましたが、音程の確かさ、言葉の明瞭さに加えて、英語の発音も完璧。楽譜も読めないし、英語の読み書きもできない(歌詞をカタカナで書いてもらって覚えたそうです)人がこれだけ歌えるというのはスゴイとしか言いようがありません。
「耳で聞いた音と言葉を、的確に声に乗せて歌うことができる天才だった」というようなことをある評論家の方が言っていたそうですが、納得してしまいますね。
ちなみに、録音当時28才だったそうです。アルバムジャケットがおしゃれで、60年代を感じさせるイイデザインです。
魅惑のワルツ / Amazon.co.jp
昨年の東日本大震災以降、というより原発事故以降と言ったほうがいいかもしれませんが、石牟礼道子さんの「苦界浄土」が改めて読まれているようです。
今年の7月25日には、NHKで「水俣病“真の救済”はあるのか ~ 石牟礼道子が語る ~」というインタビュー番組が放送されました。この放送自体は水俣病に対する国の救済措置の終了に合わせたものでしたが、原発事故後の国の対応を重ね合わせて見られた方も多かったのではないでしょうか。
「苦界浄土」は次のような描写から始まります。
年に一度か二度、台風でもやって来ぬかぎり、波立つこともない小さな入江を囲んで、湯堂部落がある。
湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった。
夏は、そんな子どもたちのあげる声が、蜜柑畑や、爽竹桃や、ぐるぐるの瘤をもった大きな櫨の木や、石垣の間をのぼって、家々にきこえてくるのである。
この作品は、その内容の重さから、読み続けることに抵抗を感じられる方もいるかもしれませんが、何より日本語表現の美しさが際立っています。特に、聞き書きという形で水俣の方言で書かれた住民たちの言葉は石牟礼さんでなければ表現できなかったもので、ある種の可笑しさとともに、強い「哀しさ」をもって私たちの胸に迫ってきます。
あねさん、この杢のやつこそ仏さんでござす。
こやつは家族のもんに、いっぺんも逆らうちゅうこつがなか。口もひとくちもきけん、めしも自分で食やならん、便所もゆきゃならん。それでも目はみえ、耳は人一倍ほげて、魂は底の知れんごて深うござす。 一ぺんくらい、わしどもに逆ろうたり、いやちゅうたり、ひねくれたりしてよかそうなもんじやが、ただただ、家のもんに心配かけんごと気い使うて、仏さんのごて笑うとりますがな。それじゃなからんば、いかにも悲しかよな眸ば青々させて、わしどもにゃみえんところば、ひとりでいつまっでん見入っとる。これの気持ちがなあ、ひとくちも出しならん。何ば思いよるか、わしゃたまらん。
こりゃ杢、爺やんな、ひさしぶりに焼酎呑うで、ちった酔いくろうた。
杢よい。
こっち、いざってけえ、ころんころんち、ころがってけえ。
引用したのは、「第四章 天の魚」から、胎児性水俣病の孫(杢太郎)のことを爺さまが語っている部分です。
個人編集の「世界文学全集」で、戦後日本文学の中から唯一この作品を選んだ作家の池澤夏樹さんが、こう言っています。
この作品には、かつての水俣の幸せ が描かれている。だからこそ、水俣病が いかにひどいものであるかが分かる。石牟礼さんは水俣病という現実と向かい あった。人格と現実がぶつかると思想が 生まれる。それによって、われわれはこ うした果実を得られたわけです。
一回は読んでおくべき作品だと思います。
前回の記事"Duets II"の中で少しレディー・ガガのことにふれました。レディー・ガガというと、ド派手な外見とパフォーマンスで「キワモノ」扱いされる傾向がありますが、この人、歌は本当にウマイ。
このことは"BORN THIS WAY"などの本人の楽曲でもわかりますが、前回ご紹介したトニー・べネットとのデュエットでも良くわかります。"Duets II"では"The Lady is a Tramp"を歌ってますが、メロディーラインの確かさ、伸びやかな歌声、トニーとの掛け合いも実にウマイ。二人とも楽しそうに歌っています。
アメリカのショービジネスの奥の深さがわかりますね。
"The Lady is a Tramp"といえばElla FitzgeraldやAnita O'Dayなど、ジャズの大御所が歌っているものが一番知られているのでしょうが、レディー・ガガのもイイです。これもトニー・ベネットのチカラ?
ボーン・ディス・ウェイ / Amazon.co.jp
先日、WOWWOWで「トニー・ベネット デュエッツII ザ・パフォーマンス」が放送されました。
史上最高齢ビルボード1位を獲得した『デュエッツII』を発売したトニー・ベネット。レディー・ガガやエイミー・ワインハウスらとのレコーディング風景を収録。(番組紹介より)
Duets IIのCDは、もちろん速攻で購入しましたが(以前、サザンの原 由子さんが、朝日新聞の夕刊コラム「あじわい夕日新聞」で触れていましたね)、このメイキングビデオも実に楽しい。
しかも、すべて同じスタジオで録音したのかと思っていたら、相手に応じてスタジオも、そのセッティングもぜんぜん違う(アンドレア・ボチェッリとのデュエットは何と、イタリアのピサにあるボチェッリの自宅での録音でした)。
トニー・ベネット自身はもちろん、デュエットの相手を務める各アーティストたちが本当に気持ち良さそうに楽しく歌ってるので、観てるこちらまで楽しい気分にさせてくれる。そんな番組でした。
このアルバムに参加していたエイミー・ワインハウスは、なんとこの録音を最後に亡くなっています。ドラッグとアルコールによるものではないかということですが、正式の死因は未だ不明だそうです。2008年の第50回グラミー賞で最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞した人だけに残念です。ソウルフルで切なくて、今年のグラミーを取ったアデルと似た感じで、良かったのですが。
WOWWOW / 番組紹介ページ
WOWWOWで放送された映画「毎日かあさん」を見ました。
人気漫画家・西原理恵子のエッセイ漫画を基に、元気すぎる子どもたちと子どものような夫に振り回されるヒロインの深い愛情を綴る。小泉今日子と永瀬正敏の元夫婦が共演。(番組紹介より)
映画そのものはエピソードの積み重ねで、特別スバラシイというほどでも無かったですが(でも子供たちがかわいかった!)、エンドロールで流れた木村充揮の歌がヨカッタ。
海を見てると 君のことを思い出す
振り向きざまの あの笑顔 この胸に広がる
楽しい楽しい日々を 辛く切ない日々を
君と共に暮らした日々を 忘れられない日々を
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を 雨の日も風の日も
ケサラ ケサラ ケサラ
夢の中 行き交う 今日もいろんな人が
争うことなく暮らせるように 共に暮らせるように
ケサラ ケサラ ケサラ
君の生き道を 雨の中 風の中
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
巡る季節の中を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を ふれあい 分けあい 愛しあい
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
巡る季節の中を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を ふれあい 分けあい 愛しあい
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ SARA
原曲はイタリア南部の貧しい村から若者が村を捨てて出て行くといった内容で、40年以上前にホセ・フェルシアーノの歌でヒットしましたが、その後日本ではなぜか反戦・平和の歌としていろいろな歌詞で歌われてきました。
木村充揮、いいですね~。映画のエンドロールの映像とマッチして、グッときました。
今年のグラミー賞は、イギリス出身のシンガーソングライター"Adele"が、最優秀アルバム、最優秀レコード、最優秀楽曲、最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス、最優秀ポップ・ボーカル・アルバム、最優秀短編音楽ビデオと、6部門を制覇。何年か前に"norah jones"が8冠を取ったことがありましたが、それ以来ですね。
ただ、"Adele"と"norah jones"とでは声も音楽ジャンルも全く異質。グラミー賞も幅が広いです。
"Adele"の歌は、ジャンル的には"Blues""もしくはR&B"ということになるのでしょうが、聴けば聴くほど味が出てくるというか、イイですね~。最優秀楽曲賞を取った"Rolling In The Deep"も良いですが、私は、最優秀アルバム賞を取った"21"の中では"One And Only"が一番。
You've been on my mind
I grow fonder every day
Lose myself in time
Just thinking of your face
God only knows why it's taken me
So long to let my doubts go
You're the only one that I want
I don't know why I'm scared
I've been here before
Every feeling, every word
I've imagined it all
You'll never know if you never try
To forget your past and simply be mine
I dare you to let me be your, your one and only
I promise I'm worthy
To hold in your arms
So come on and give me the chance
To prove I am the one who can walk that mile
Until the end starts
If I've been on your mind
You hang on every word I say
Lose yourself in time
At the mention of my name
Will I ever know how it feels to hold you close
And have you tell me
Whichever road I choose, you'll go?
I don't know why I'm scared
'Cause I've been here before
Every feeling, every word
I've imagined it all
You'll never know if you never try
To forget your past and simply be mine
I dare you to let me be your, your one and only
I promise I'm worth it, mm
To hold in your arms
So come on and give me a chance
To prove I am the one who can walk that mile
Until the end starts
I know it ain't easy giving up your heart
I know it ain't easy giving up your heart
I know it ain't easy giving up your heart
I know it ain't easy giving up your heart
Nobody's perfect
(I know it ain't easy giving up your heart)
Trust me I've learned it
Nobody's perfect
(I know it ain't easy giving up your heart)
Trust me I've learned it
Nobody's perfect
(I know it ain't easy giving up your heart)
Trust me I've learned it
Nobody's perfect
(I know it ain't easy giving up your heart)
Trust me I've learned it
So I dare you to let me be your, your one and only
I promise I'm worth it
To hold in your arms
So come on and give me a chance
To prove that I am the, one who can walk that mile
Until the end starts
Come on and give me a chance
To prove that I am the one who can, walk that mile
Until the end starts
ちなみに、英語で"One And Only"というのは日本語で言えば「運命の人」です。
GRAMMY.com / 公式サイト
ふと気がついたら会期が終わりそう、ということで、六本木の国立新美術館で開催中の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を見てきました。
「これほどの質と規模での展覧会は、ワシントン・ナショナル・ギャラリー70年の歴史上なかったことであり、そして、これからもないだろう。」というワシントン・ナショナル・ギャラリー館長の言葉につられたようなものですが、マネ、モネ、ルノアールなどの印象派の代表的な作品から、ポスト印象派といわれるゴッホ、ゴーギャン、セザンヌまで、確かに見に来て良かったと思える内容でした。
そして、これまでさまざまな形で開催されてきた印象派の展覧会でもあまり見たことの無かったのが、素描や水彩、パステル、版画等、紙に表現された作品でした。
なかでも印象的だったのがメアリー・カサットの銅版画(技法としてはカラー・ドライポイント、アクアチントです)。メアリー・カサットといえば「青いひじ掛け椅子の少女」が有名ですが、「入浴」や「浴女」などの作品が小倉遊亀さんの日本画のようで、非常に興味深かったです。
会期終盤ということでもっと混雑しているかと思ったのですがそれほど混んでなく、十分に絵を楽しむことができました。
国立新美術館 / 美術館公式サイト
ワシントン ナショナル・ギャラリー展 / 展覧会公式サイト
3月11日の地震と津波で被災した子供たちの文集、「つなみ(文藝春秋8月臨時増刊号)」を読みました。
あの松本復興担当大臣が辞任会見の最後に「100冊購入して売りつけようとしたが、最後なので残念ながらプレゼントします」と言った本ですが、それはともかく、多くのメディアが数字として伝える地震と津波の情報よりも、保育園児から高校生までの子供たちの伝える一つ一つの体験の方が、今回起きたこと、今起きていることの実態を、より強く感じることができます。
そんな中の一つを紹介します。気仙沼市の中学2年生(当時)の女子が書いたものです。彼女は震災当日の生々しい体験を綴った後、こういう文章で作文を終わらせています。
私はこの震災で学んだこともあります。
それは、一日一日を楽しく過ごし、生きているのは奇跡だということです。
震災で家族や友人がなくなってしまった人達がたくさんいます。私の家族は、全員無事でした。いつもだったらあたりまえのことでも、今はそのことがすごい奇跡だと思っています。
私は今、生まれ育った気仙沼で生きています。それがどんなに幸せなことか知りました。毎日楽しく過ごしていることも、今の一番の幸せです。
私の命は、今も音をたて、動いています。それがわかると、うれしくて、いつも心の中で思います。「私は今、生きている」ということを。
これを読んで、歌人の小池光氏が短歌研究5月号に「インタビュー受ける中学生はみな聡明に悲しきひとみを持てり」という歌とともに、次のような言葉を寄せていたことを思い出しました。
避難所の体育館では中学校の卒業式が行われた。インタビューを受ける中学生は誰もがみんな立派だった。こういう中学生もいるのだ、という思いは全世界に向けて発信するに足るわれらの誇りである。
政治の無策についてはコメントする元気もないですが、今の大人たちのあり様を子供たちがどう見ているのか、そちらの方が気にかかります。
中学生は誇れるけど、大人は?。
つなみ 被災地のこども80人の作文集 / 文藝春秋8月臨時増刊号
先日TVを見ていたら、こんなCMに出会いました。
木のボールが転がるうちに聞こえてくるのがバッハの「主よ、人の望みの喜びを」(カンタータ第147番「心と口と行いとなりわい」に含まれている合唱コラールが原曲です)。誰もが聞いたことのある親しみやすい曲で、音楽と映像がピッタリマッチしています。
始めは番組の一部かと思ってみていたらどうも違う。そして最後にこんな映像が出てきて、ケータイのCMだったのが判りました。
エージェントはDrill、制作はエンジンプラス。エンジンプラスというのは相米慎二監督の「夏の庭」や西川美和監督の「ゆれる」、是枝裕和監督の「誰も知らない」、「歩いても 歩いても」などのプロデュースをしている会社で、カンヌライオンズ2011でサイバー部門ゴールド賞を受賞しています。
労を惜しまず仕事するとこんな良いものができるんですね。まだ見ていない方はドコモのサイトで見られますのでぜひ。
このCMに出てくるケータイですが、映像でもわかるように、木製のボディです。製品のホームページでは「本物の四万十ヒノキを使用した、木の温もりが伝わる豆型形状。1台ごとに異なる、美しい木目と色合いを実現したデザインは、手にとるとヒノキの香りが広がります。」と紹介されています。
docomo CM&MOVIEギャラリー / ドコモの公式サイト
ある本を読んでいて、こんな文章に出会いました。少し長いですが引用します。
われわれの誰もが気づいていることなのだが、この土地だけでなく他のどの場所においても、あるえたいの知れぬ変化がさまざまに社会のなかでおこっていて、われわれの存在基盤そのものに疑間をひきおこすようになってきている。
われわれのなかには、造物主からわれわれにあたえられた聖なる目的とその到達目標のことをわかっていて、われわれすべてのなかに住まわれているスピリットの存在をしかと実感している者もないわけではない。
だが不幸なことに、ひとびとのなかには、大いなる功名心に目が眩んで、他人を支配しようとする者もいる。今の世界が抱えるある種のアンバランスをただすのではなく、かわりにひたすら非難の応酬に明け暮れて、それがためにわれわれのこの惑星のスピリチュアルなエネルギーを、いっそう枯渇させてしまうのである。
このような人たちは、自減にむかう輪を編みつづけており、すべての土地と生命に多大な被害をあたえている。
現代を生きる世代が、われらのご先祖さまの言葉をもはやまるで信用していないことは、火を見るよりも明らかである。連中は、いかにすれば誘惑を避けることができるか―― つまり、ここまで人間が生き延びてこられた鍵となるものを、きれいさっばりと忘れている。
そしてほんとうにわれわれにはもはや新しい変化から逃げる術がないのだとしたら、われわれの生き方を持ちこたえさせてきた重要な要素を破壊しないためにわれわれにできることは、そうした変化を賢く利用することぐらいしかない。
今ここにいたって、われわれは自らを目覚めさせて正しい道に従わせなくてはならない。
(ネイティブ・アメリカン ホピの長老の言葉-「聖なる言の葉 / スタン・バディラ編・北山耕平訳」から)
ここで出てくる「スピリット」とはネイティブ・アメリカンの持つ概念のひとつで、「自然界に存在するあらゆるものや現象の中に宿っているもの」を指す言葉。
現代に生きる我々は、いったい何をしてきたのか。自然界で起こりうることを「想定」し、それを前提として自らの安全を確保することができると信じていた自分自身の能天気さを、今更ながら思い知らされます。
「ここまで人間が生き延びてこられた鍵となるもの」に気づくことができなければ、「自減にむかう輪を編みつづけ」ることになる。そんなことに気づかされた文章でした。
聖なる言の葉 / スタン・バディラ編・北山耕平訳(マーブルブックス)
Native Heart / 北山耕平さんのブログ
3月11日から3週間経過した先週以降、各紙の歌や俳句の投稿欄に、震災を呼んだ作品が少しづつ寄せられるようになってきました。10日の朝日歌壇は、ほとんどが震災を詠んだものでした。作者がそれぞれに震災に向き合って紡ぎだした作品に言葉を加えることはできません。自分自身の覚書として、ここに記録しておきます。
大地震の間なき余震のその夜を あはれ二時間眠りたるらし (仙台市)坂本 捷子
ぶしつけな問いにも静かに答えるは 父母を波にさらわれし人 (太田市)川野 公子
三月の十日の新聞手に取れば 切なきまでに震災前なり (新座市)中村 偕子
絶対に天罰などであるものか 幼子なくせし母の慟哭 (長浜市)山田 貞嗣
津波退きしがれきの山に雪つもる これが東北というがごとくに (東京都)久保田 仁
生きてゆかねばならぬから 原発の爆発の日も米を研ぎおり (福島市)美原 凍子
こんなにも悲しく響く東北弁 聞きたることなし巨大地震は (名古屋市)山田 静
大震災避難者の記事前にして 妻はいかなご炊くを止めたり (神戸市)内藤 一二男
父母の名をかざしひとりで避難所を 回る男の子は九歳という (福岡市)東 深雪
立ち直るしかないねと言う被災者の 深き目数のひとすじの涙 (横浜市)大建 雄志郎
以前BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」という番組を紹介しましたが、1月の放送で「国立西洋美術館」が取り上げられていました。
今回は、収蔵作品4500点以上!日本一の西洋美術コレクションを誇る、上野は国立西洋美術館・常設展をぶらぶらします。
この常設展を構成する「松方コレクション」とは、松方正義元首相の三男で実業家の松方幸次郎氏が、戦前、莫大な私費を投じてヨーロッパで買い付けたもの。ルネッサンス期から近代にいたるまで、有名作家の名品が勢揃いしています。
(番組サイトより)
美術館や博物館というと企画展にばかり注目しがちですが、ここの常設展示はスゴイです。たとえばマネの「ブラン氏の肖像」やモネの「睡蓮」など、おなじみの作品がたくさん展示されています。
そしてもう一つ、西洋美術館の楽しみは建物そのものにあります。ル・コルビュジエ設計の本館を世界遺産登録すべく活動中ですが、向かいにある「東京文化会館」がコルビュジエへのオマージュであることはご存知でしょうか。
東京文化会館はコルビュジエの弟子の「前川國男」が設計したもので、国立西洋美術館の中心線上に文化会館の劇場の中心線を合わせ、しかも建物の高さも合わせています。
二つの建物を比べながら常設展も楽しめる。しかも西洋美術館は第2、第4土曜日と文化の日は入館無料、オススメです。
国立西洋美術館 / 公式サイト
コルビュジエさんのつくりたかった美術館 / 五十川藍子(エシェル・アン発行)
1月4日から6日にかけて、NHK BShiで「トスカーナの山暮らし ~バッポとマンマとユキちゃんと~」という番組が放送されました。イタリア トスカーナで暮らす家族(日本人のお母さん、イタリア人のお父さん、そしてその娘)の日常がトスカーナの秋景色とともに描かれていて、私たちが便利さと引き換えに無くしてしまったものに気づかされる内容でした。
自分の考え方次第で何とでもなるはずなのですが、なかなか今の生活から踏み出すことはできないですね。
さて、この放送の中で使われていたのが「ガブリエルのオーボエ」という曲。1986年製作のロバート・デニーロ主演の映画『ミッション』で使われた、エンニオ・モリコーネの作品です。
エンニオ・モリコーネは他にも多くの映画音楽を作曲していますが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「ニューシネマ・パラダイス」などで使われている曲もいいですね。
後にこの曲にイタリア語の歌詞がつけられ、「ネッラ・ファンタジア」の題でサラ・ブライトマンらによって歌われています。初めて登場したのが彼女のアルバム『エデン』です。
バッポとマンマとユキちゃんと / DVD BOOK
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ / こちらの主役もロバート・デニーロ
ニューシネマ パラダイス / 映画の予告編
先々週、さいたま市の埼玉県立近代美術館で開催中の「植田正治写真展 -写真とボク-」を見てきました。
砂丘を舞台に数多くの傑作写真を生み出し、日本のみならず世界の写真史上に独自の足跡を残した植田正治(1913-2000)。時代の潮流であったリアリズム写真運動に与することなく、終生、生まれ故郷の山陰にとどまって「写真する」歓びを追求しました。そのモダニ ズムあふれる作品は、海外でもUeda-cho(植田調)と称され、国外で最も人気の高い日本人写真家の一人となっています。(公式サイトより)
さてこの植田正治、戦後すぐの頃から活躍した写真家ですが、少しも古さを感じさせません。もちろん、その頃の写真のモデルたち(ほとんどが彼の家族たち)の服装は時代を感じさせるものですが、被写体のとらえ方、感覚が古さを感じさせないのです。
土門拳の写真が究極のスナップだとすれば、植田正治の写真は計算しつくされた演出写真。しかも押し付けがましさが無く、むしろ軽い印象。だからいまでも新しい。
会場には若い人たちも多く、ワークショップでは演出写真の体験コーナーもやっていました。
ちょうどその1週間後の月曜日、今度はNHK BS2で放送中の『男前列伝』というシリーズで、『「ブレずに“写真する”」-植田正治×石橋凌-』をやっていました。この番組では、アルバムジャケットをはじめ、鳥取砂丘での結婚式の撮影を依頼したほどの熱烈なファンだという、俳優で元ミュージシャンの石橋凌が出ていました(ちなみに石橋凌は去年放送していた『龍馬伝』で長崎奉行をやっていた人)。
植田正治写真展 -写真とボク- / 埼玉県立現代美術館の企画展のページ
埼玉県立現代美術館 / 公式サイト
植田正治写真美術館 / 公式サイト
植田正治事務所 / 公式サイト
昨年11月、2006年2月に亡くなった詩人茨木のり子さんに関する本が相次いで出版されました。ひとつは11月10日に中央公論新社から出された『清冽 詩人茨木のり子の肖像』、もう1冊は11月25日に平凡社から出された『茨木のり子の家』です。
『清冽』はノンフィクションライターの後藤正治氏の作品で、茨木のり子さんの人となりや詩作の背景を理解するのに良い本です。特に、軍国少女だった茨木さんが、なぜ何者にも「倚りかからず」生きていくことに至ったか、一端に触れることができます。
『茨木のり子の家』はちょっと変わった本で、彼女が夫ともに、そして夫の死後は一人で暮らした自宅の中を中心に、写真と彼女の詩が何篇か掲載されているというもので、夫の三浦安信氏が妻である茨木さんを描いたデッサンなども載っていて、なかなか貴重なものとなっています。
そしてこの本に、ピート・シーガーが茨木さんの一番有名な作品『わたしが一番きれいだったとき』を英訳したものに曲をつけた、"When I was most beautiful"を含むアルバムの写真が載っていました。
ピート・シーガーといえば、先日NHKBSで「世紀を刻んだ歌 『花はどこへいった~静かなる祈りの反戦歌』」が再放送されていました。以前もこの番組のことにはふれましたが、ひとつの歌を深く掘り下げたなかなか重量感のあるシリーズでした。
清冽 -詩人茨木のり子の肖像- / 後藤正治(中央公論新社)
茨木のり子の家 / 茨木のり子(平凡社)
最近は「散歩」ブームで、TVの放送も出版物もたくさんあります。たとえば老舗番組としては
が有名ですが、最近人気なのは
あたりでしょうか。他にも
などのワールドワイドなのもあるし、こんなのもあります。
上のは脱力系、下のは空撮との組合せが新鮮。
そんな中で最近私が気に入っているのが
です。出ているのは山田五郎、おぎやはぎ、相沢紗世の4人。山田五郎の博覧強記ぶりもすごいですが、世間の評価を一切気にせず「わからないものはわからない」という常に本音のおぎやはぎと、自分として気に入るかどうかが評価基準の相沢紗世ちゃんのトークがかえって新鮮でおもしろい。
「ぶらぶら」をナビしてくれるのは、名解説が冴える山田五郎さん。名つっこみ・おぎやはぎのお二人、「ぶらぶら」の美のミューズ・相沢紗世さんと一緒に、肩の力を抜いて、ぶらぶらと散策気分で楽しんでみませんか?(番組サイトから)
美術系の番組もたくさんありますが、この番組の気取りのなさがいいですね。
上野の藝大美術館で開催中の「明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山」展を見てきました。
ラグーザは日本にはじめて西洋彫刻を伝え、近代日本彫刻の基礎を作ったイタリア人彫刻家、荻原碌山は、わずかな活動期間のうちに日本の近代彫刻に新しい風をもたらした彫刻家。(「明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山」展の公式サイトより)
荻原碌山といえば信州安曇野の碌山美術館のことがすぐ思いつきますが、今回の展覧会では代表作「女」のブロンズ像の元になった石膏型も展示され、なかなか興味深いものでした。
なかでも、碌山の石膏型を3Dスキャンして3次元データを取り、それを元に樹脂製の型を取って鋳造したブロンズ像がロビーに展示されていたのが今までにない試みで、斬新でした。
今の技術を使えば、元の型がなくても鋳造作品であればいくらでも複製品が作れるわけで、これでいいのか悪いのか。
同じく藝大美術館で開催中の「黙示録-デューラー/ルドン」展も見ましたが、キリスト教の歴史(あるいは聖書)についての知識がない私にはついていけませんでした。ただ、ルネッサンス期に活躍したデューラーと、19世紀末から20世紀にかけて活躍したルドンを比較すると、同じ黙示録を描いていても、やはりルドンの方が実感としてとらえられるような気がしました。
「明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山」展 / 藝大美術館の公式サイト。
「黙示録―デューラー/ルドン」展 / 藝大美術館の公式サイト
まだ「メセナ」などという言葉が一般的でなかった昭和35年から50年続いてきた、子供のための詩誌があります。
『サイロ』という名前のこの詩誌には、たとえばこんな詩が載っています。
ははのひ(小学1年 にいゆきお)
どんかち つった
いっぱい
かあちゃんが よろこんだ
てんぶら して たべた
ははのひだもんな
(昭和35年6月・6号掲載)
幸せ(小学6年 中村こより)
幸せって 何だろう
一体何を 幸せと言うのだろう
畑がどこまでも 続いている
時といっしょに 風は流れて
すき通る青空 夢のように雲がうかび
小麦 ビート じゃがいも 緑がゆれて
あざやかな花 きれいなちょうがまう
終わりのない 細くて長い道
風を切って かけぬける
葉がこすれ合う オルガン
川は流れて 鳥は飛んで行く
幸せって 何だろう
一体何を 幸せと言うのだろう
これが 幸せと言うのなら
今 私は笑っている
(平成17年8月・546号掲載)
この詩誌の編集に携わってきたのは十勝の教師たち、そして子供たちに詩を発表する場をつくり、それを50年以上も続けてきたのが、『マルセイバターサンド』などで有名な北海道の「六花亭」で、いまは小田豊四郎記念基金により運営されています。
およそ70余年にわたり、お菓子作り一筋に歩み続けた小田豊四郎(1919-2006)。北海道帯広市に本社を置く六花亭製菓株式会社の創業者であり、『お菓子の街をつくった男』と言われています。
「その町の文化の程度はその町のお菓子でわかる」を文字通り実践。現役を退くに際し、今までの「食を通しての街づくり」と同じく「北海道の食文化の発展」を願い寄与することを目的に、当基金を設立。2003年9月に北海道より認証されました。(六花亭のWEBサイトから)
サイトにはこの他にも、「中札内美術村」や「六花の森 坂本直行記念館」など、同社の文化事業が幅広く紹介されています。
ひとりの経営者の思いの一つが『サイロ』という子供たちのための詩誌に結実し、それが営々として続けられてきている。すばらしいですね。
六花亭 / 同社のホームページ
小田豊四郎記念基金 / 基金のホームページ
『サイロ』のページ / 子供たちの詩が紹介されています
日経新聞9月12日版の文化面に、翻訳家の鴻巣友季子さんの『対話の架け橋』というエッセイが載っていました。
エッセイは、鴻巣さんが小説家の中島京子さんの紹介でその著作を翻訳した、南アの作家マクシーン・ケイスとのやり取りについて書いたものでした。
マクシーンはカラードの一家に生まれて思春期までをアパルトヘイト下で育った作家ですが、そのマクシーンに鴻巣さんは次のように問いかけます。
過去のアパルトヘイト差別によって黒人とカラードが被った損失に対して、今も、今後も、白人は謝罪と償いの責を負うと考えますか。それらを表するにはどんな方法が最良と思いますか。
この問いかけに対してマクシーンは、「南アの真実和解委員会は、アパルトヘイトの生んだ問題の数々に取り組んできました。公のレベルでは、涙ながらの謝罪があり、赦しがあったけれど、そんなものは上っ面を軽く引っ掻いたにすぎません。現在も南ア社会では、不平等の多くが広範囲に残り、恵まれた側にいた多くは、アパルトヘイトが存在したことすら意識していない。」と答えたあと、こう言っています。
賠償を行えば社会の亀裂を解決することができるのか。また現在、白人の多くが感じている逆差別をどうすべきか。答えは出ません。でも私は、南アの別な世界に、異国の異文化の中にいる人たちに、小説を通して自分が育ってきた文化を見せようと思う。どんな『異文化』にも良い面と悪い面があるけれど、たがいの物語を聴く気持ちがあるかぎり、個々人のレベルで心は癒され、考え方に変化が訪れると信じます。
そして鴻巣さんはマクシーンの作品について、「小説の普遍性、底知れぬ力に打たれた」と書き、次のようにエッセイを結んでいます。
相手に「ノー」と言うためにも、人は他者の言葉を身につけ、対話に臨まねばならない。異言語間に架橋が必要になったとき、たがいが「腑に落ちる」ために翻訳者にはどれだけのことができるだろう。様々な対話の可能性に思い巡らせた夏だった。
2008年に亡くなった作家の加藤周一氏が、『私にとっての20世紀』という本の中で、1960年代末のアメリカでベトナム戦争反対運動が起こったときの、自動小銃を持って完全武装した何十人という州兵に赤い花一輪を持って対峙する女学生の写真から、「そのような拮抗するチカラを認識することが文学だ」ということを書いています。
仮に暴力を暴力で押さえつけることができたとしても、それは決して真の解決にはならない。鴻巣さんのエッセイも、ひとりの翻訳家として、言葉の可能性、対話のチカラについて書かれた印象に残るものでした。
6月19日15:30から、NHK BS2で「この空を見ていますか~ゆず アフリカの子どもたちへ~」という番組が再放送されました。難民キャンプで生きるアフリカの若者の想いを音楽で伝える"CampBeat"プロジェクトが生まれるきっかけとなった、「ゆず」の北川クンのアフリカ訪問の記録です。
上の映像は"CampBeat"プロジェクトの紹介ビデオですが、番組の中でも使われていたものです。
ところで、「難民」と言われる人たちがいったい何人くらいいるのか、ご存知でしょうか。
2008年1月1日現在、UNHCRの「支援対象者(people of concern)」は世界で約3167万人。支援対象者には、庇護希望者、難民、国内避難民、帰還民、無国籍者などが含まれる。(UNHCR Japanのサイトから)
そして難民の出身国で一番多いのがアフガニスタンの306万人、次がイラクで231万人だそうです。なぜこれらの地域が多いのかは明らかですよね。
いま、国連UNHCR協会のサイトで寄付を受け付けています。寄付には「毎月」、「今回」、「緊急支援」があり、クレジットカードやコンビニでの振込など、簡単な手続きでできるようになっています。
"CampBeat"プロジェクトでも国連UNHCR協会のサイトと連携していて、寄付が可能です。
六本木の国立新美術館で開催中の「ルーシー・リー展」を見てきました。
バーナード・リーチやハンス・コパーと並び、20世紀を代表する陶芸家の一人です。ウィーンに生まれイギリス人として半生を生きた彼女は、70年近くにもわたる創作活動の中で多くの作品を作り、独自のスタイルで陶芸の世界に新しい風を吹き込みました。(ルーシー・リー展の公式サイトより)
女性作家の作品展であることからか、作品の大半が生活に使う器であることからか、会場には女性の姿が多く、しかも大半が20代から30代でした。
それはともかく、今回の展覧会のポスターにも使われている左の写真の作品も深みのある青色が良いですが、右の写真の作品の色と形の繊細さもいいですね。写真ではわかりませんが、器の奥から柔らかな光が浮かび上がってくるような感じでした。
他にも線紋ドレッシング瓶のような生活の器がたくさん展示されていました。
公式サイトがすごく良くできていて、3作品だけですが、作品を360度から見た動画があります(現在はサイトがなくなっています)。
国立新美術館公式サイト / 過去の「ルーシー・リー展」の情報
渋谷で「岩合光昭写真展」を見た後、外苑前のワタリウム美術館で開催中の「ジョン・ルーリー展」に回ってきました。
ジョン・ルーリーといえば、サックスプレイヤーとしても、ジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」、「ダウン・バイ・ロー」で俳優としても活躍していましたが、その彼が大病をして、音楽、俳優活動をやめて絵を描いていたとは知りませんでした。
左の絵は"You are here"というタイトルですが、この絵に限らずどの絵もイメージがそのまま絵になっています。
頭で理解しようとすると手に負えません。そのまま、彼が伝えようとした(あるいは伝える気もないかもしれませんが)メッセージを感じ取ればいいのかな、と思います。
彼と一緒に「ダウン・バイ・ロー」に出ていたトム・ウェイツの"Tom Traubert's Blues"がフジテレビの『不毛地帯』のエンディングで使われていました。ドラマはキャスティングも脚本も演出も俳優たちの演技もイマイチでしたが、この歌だけは良かったですね。
ワタリウム美術館 / 公式サイト
「復興小学校」というのをご存知でしょうか。関東大震災で被災した校舎を再建した学校のことで、大正15年から昭和初期にかけて旧東京市内に117校建てられたそうです(以下、日経新聞の"THE NIKKEI MAGAZINE 3月号"から写真と記事の一部を参考にさせていただきました)。
左の写真は中央区の築地にある明石小学校の正面入り口ドアの上の窓と太い円柱です。
このような、意匠の素晴らしさもさることながら、当時の行政官と設計者たちの理想の高さが、これらの学校からはうかがわれます。
たとえば、
再び襲うであろう大地震から児童や校舎を守るために木造よりもはるかに高価であった鉄筋コンクリート造であったこと、
非常時に全生徒が3分以内に避難できるように廊下や階段の幅を広くとったこと、
また、当時非常に珍しかった水洗トイレやシャワー室、暖房用のラジエターまで設けられ、子供たちの衛生面にまで配慮されていたことなど。
今の時代であれば「安く早く」ばかりが強調されて、このような高い理想と子供たちを守るという理念を設計思想に貫くことも難しいのではないでしょうか。
いったい、現代の「豊かさ」というのは何なのでしょう。そんなことを考えさせられた記事でした。
先月28日、映画『フラガール』の制作・配給会社「シネカノン」が倒産しました。どうも西川美和監督の「ディア・ドクター」の制作から手を引いたあたりから倒産のうわさがあったらしいですが、それはさておき。
フラガールで印象的だったのが"Jake Shimabukuro"の音楽でした。
"Jake Shimabukuro"といえばウクレレの超絶技巧で有名だしすごいテクニックだと思いますが、私が好きなのはむしろこういうゆったりしたアコースティックな響きのものです。
で、他にもこんな感じのがないかなと"iTunes"で探していたら...ありました。
jakeのではないのですが、同じハワイのミュージシャンで"Keali'i Reichel"のアルバムです。
1994年、ハワイの歴史的なグループであるマカハ・サンズのメンバーの紹介により、プロデュサーのジム・リンクナーと出会い、それからミュージック・シーンでのキャリアがスタートするや否や、ハワイの音楽的歴史を塗り変える記録を続々と誕生させていく(Victor Entertainmentの公式サイトから)。
アルバム"KEALAOKAMAILE"に収録されている"MELE OHANA"や"E PILI MAI"なんかいいですね。
このアルバムには、ビギンや夏川りみでおなじみの「あの曲」も入ってます。
このところケアリの他のアルバムや「ティア・カレル」の"Hawaiiana"など、繰り返し聞いていますが、あきないですね。聞いてるとゆったりした気分で、いい感じです。
KEALAOKAMAILE - Keali'i Reichel / Amazon
KEALAOKAMAILE - Keali'i Reichel / Apple Music
出版社のPR雑誌があるのをご存知の方も多いと思います。よく書店の店先のブックスタンドにいろいろなパンフレットなどと一緒に置かれていて、「一応1冊100円だけど、ただでどうぞ」というようなものです。
たとえば岩波の『図書』、新潮の『波』、筑摩の『ちくま』などはよく見かけます。
そんなPR誌の中に、光文社の『本が好き!』というのがあったのですが、残念ながら先月発行の2010年1月号で休刊になってしまいました。
理由はご多分に漏れず出版不況ということです。
自社の出版物のPRはごく少なく、石田 千さんやアーサー・ビナードさんのエッセイ、楊 逸さん、黒野伸一さんの連載小説など盛りだくさんの内容で、表紙のイラストも好きだったのですが、残念です。
他にもPR誌はいろいろ出ていますが、書店の店先に置いていないものも多いので、気に入ったものは定期購読をオススメします。年間購読で大体1000円くらい、つまらない週刊誌なんか買うよりよほど安上がりで楽しめます。
12月28日の朝日新聞夕刊に『「DAYS JAPAN」存続へ読者1500人獲得策』という記事が載っていました。
戦争や人権侵害など国内外の社会問題を扱う月間報道写真誌「DAYS JAPAN」(広河隆一編集長)が経営難に陥り、「存続キャンペーン」を続けている。
広河氏はパレスチナやチェルノブイリ原発事故などの取材を続けているフォトジャーナリストで、「DAYS JAPAN」はフォトジャーナリストが作品を発表する場として、また何よりも、メジャーなマスコミが報道しない事実を社会に訴える場として発行されているものです。
私は以前『フォトジャーナリスト13人の眼』(集英社新書)という本を読んでから広河氏のことを知っていたのですが、「DAYS JAPAN」のことは最近になって知って購読を始めました
朝日にも書いてありますが、今キャンペーン中で年間購読料が7700円です。
いま世界で起きていることについて、少しでも「考えること」の助けにはなるのではないか、また、直接その場には立てなくても、自分にできることから始めれば良いのではないかと思います。
DAYS JAPAN / 公式サイト
HIROPRESS.net / 広河隆一通信